2017/12/25

ホークスレジェンド!夢の歴代選手を理想のオーダーに!南海、ダイエー、ソフトバンク編!

 

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3児のパパ。3度の飯より野球とラーメンが好き。

ホークス~夢の歴代オーダー~ 南海、ダイエー、ソフトバンク編

歴代の理想オーダーを書いていきます(あくまで私の理想です)

南海、ダイエー、ソフトバンクのホークス名が入ったチームのオーダーです(西鉄や、クラウンまで入ると幅が広がり過ぎるので)

一軍登録人数は最大28人(投手、野手合わせて)です。

ベンチ入りは25人ですが、今回は登録人数でオーダー&一軍ベンチまで考えようと思います。

※表彰は分かりやすいモノを記入しています(例えば流行語ノミネートや企業からもらう賞などはほぼ記入なしです)

1番 センター 広瀬叔功(南海)

出身地:広島

出身校:大竹高校

背番号: 57(1955年 – 1960年) 12(1961年-1979年) 70(1980年) ※監督時代82(1991年-1992年)

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1964年度 366 58 12 72 167 7 39
通算19年間 282 705 131 2157 596 34 482

タイトル・表彰

首位打者: 1回(1964年)

盗塁王: 5回(1961-1965年)※1964年に史上初、首位打者&盗塁王の同時獲得

・シーズン盗塁成功率:.957(1968年)※30盗塁以上では、日本記録。

・シーズン連続盗塁成功:31(1964年)※日本記録。

wiki/広瀬叔功

・南海ホークスの盗塁王。4年連続盗塁王となった昭和39年には連続31盗塁の新記録、リーグ新の27試合連続安打、110得点、首位打者.366

・「僅差の場面でしか走らない」「打者が2ストライクに追い込まれたら走らない」職人肌の高い盗塁技術を誇った選手

・世界の盗塁王、福本豊が「広瀬さんは神様やもん。プロに入ってからもそれは一緒よ。相変わらず雲の上の存在やった」「盗塁や走塁で魅せてくれる足も、守備(センター)の際の動きにしても、広瀬さんのスピードは他の選手とかけ離れていた」と語っている。

 

2番 セカンド 井口資仁(ダイエー)

右投げ右打ち

出身地:東京

出身校:国学院久我山高等学校 → 青山学院大学

背番号: 7 (1997年-2004年)ダイエー 15 (2005年-2007年途中)12 (2007年途中 – 2008年途中) 10 (2008年途中 – 同年途中)9 (2008年途中 – 同年終了)6 (2009年 – )ロッテ

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
2003年度 340 109 27 42 175 1 81
通算NPB17年目 270 1015 250 176 1758 41 778
通算MLB 4年間 268 205 44 48 494 22 189

※※2017,9,11現在↑

タイトル・表彰

盗塁王: 2回 (2001年,2003年)

ベストナイン:  3回(二塁手部門:2001年,2003年,2004年)

ゴールデングラブ賞: 3回(二塁手部門:2001年,2003年,2004年)

日本シリーズ優秀選手賞: 1回(2003年)

・30本塁打40盗塁:2001年時 ※張本勲(1963年)、秋山幸二(1990年)に次いで史上3人目

・全打順本塁打

・オールスター出場:9回 (2001年 – 2004年、2009年 – 2013年)

wiki/井口資仁

・ホークス捕手のジョーのコメントで「井口さんの凄さは右方向への打球。僕も十数年プロで野球やったけどどの球団にも比べる相手さえいなかった。右方向の打球で井口さんと争うことは無理だね」と語っている。

・井口資仁の死球数は強打者の証で、「それだけインコースを攻められているということではあるよね。相手が嫌がってくれているからこそ、インコースに投げる。自分が結果を出していくのに比例してデッドボールは増えたよね」この男の凄さはどんな場面でも痛さを表情に出さない事。勝負の世界に身を置く男として、どんな状況でも相手に弱みを見せまいという強烈な気迫が感じられる。

 

3番 ライト 柳田悠岐(ソフトバンク)

右投げ左打ち

出身地:広島

出身校:広島商業高校 → 広島経済大学

背番号:44 (2011年-2014年) 9 (2015年-)

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
2015年度 363 99 34 32 182 0 88
通算7年目 214 396 112 118 746 2 389

タイトル・表彰※2017,9,11現在↑

首位打者:1回 (2015年)
最高出塁率:2回 (2015年、2016年)

MVP:1回 (2015年)
ベストナイン:2回 (外野手部門:2014年、2015年)
ゴールデングラブ賞:2回 (外野手部門:2014年、2015年)
月間MVP:4回 (野手部門:2014年5月、2015年8月、2015年9月、2017年6月)
セ・パ交流戦MVP:2回 (2015年、2017年)
オールスターゲームMVP:1回 (2014年第2戦)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2014年)

・トリプルスリー:2015年 ※史上10人目
・トリプルスリーと首位打者の同時達成はNPB史上初
・同一年に両リーグからトリプルスリー達成者(セ・リーグでは東京ヤクルトスワローズの山田哲人が達成済)は1950年の岩本義行・別当薫以来65年ぶり2回目
・連続試合四球:18 (2016年) ※NPB記録タイ
・オールスターゲーム出場:4回 (2014年 – 2017年)

wiki/柳田悠岐

王貞治会長(2011年春、ソフトバンクのキャンプ地で)

「近い将来、ウチの、いや日本の中心バッターになるね。とにかく打球の飛距離が半端ない。球を飛ばすってのは教えてもできない。生まれ持った天性のものなんだ」

「コーチには絶対にバッティングをいじるなって言っているんだ。自由に打たせろってね。あの飛距離は球界の宝」

 

4番 ファースト 松中信彦(ダイエー・ソフトバンク)

左投げ左打ち

出身地:熊本

出身校:八代一高校 → 新日鐵君津

背番号: 26 (1997年-1999年)3 (2000年-2015年)

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
2004年度 358 120 44 2 171 0 84
通算19年間 296 1168 352 28 1767 6 857

タイトル・表彰

三冠王:1回 (2004年)
首位打者:2回 (2004年、2006年)
本塁打王:2回 (2004年、2005年)
打点王:3回 (2003年 – 2005年)
最多安打:1回 (2004年)
最高出塁率:3回 (2004年 – 2006年)

MVP:2回 (2000年、2004年)
ベストナイン:5回 (2000年、2003年 – 2006年)
ゴールデングラブ賞:1回 (2004年)
月間MVP:6回 (2001年9月、2003年8月、2004年5月、2005年7月、2005年9月、2006年6月)
セ・パ交流戦優秀選手賞(日本生命賞):1回 (2006年)
オールスターゲームMVP:1回 (2009年 第2戦)

  • 三冠王:1回 (2004年)
  • 3年連続120打点(2003年 – 2005年) ※日本プロ野球記録
  • シーズン7部門(打率、本塁打、打点、安打、出塁率、得点、塁打)トップ(2004年) ※史上2人目
  • 2004年にマークした118得点、342塁打、82長打はホークスにおける年間最多記録。また、通算打率は球団歴代1位。
  • オールスター出場:9回 (1999年 – 2001年、2003年 – 2005年、2007年 – 2009年)

wiki/松中信彦

・左打者でありながら左投手も苦にしない上、ホームランバッターでありながら三振が少なく[39]、シーズン100三振以上したことがない。特に2006年は37個と自己最少だった。選球眼が良く、2006年には102個を含む2度のリーグ最多四球をマーク。通算のBB/K(四球÷三振)は1前後を推移した

 

5番 キャッチャー 野村克也(南海)

右投げ右打ち

出身地:京都

出身校:京都府立峰山高等学校

背番号: 60 (1954年-1955年) 19(1956年-1980年,2006年 – 2009年) 73 (1990年 – 1998年、2001年)82 (1999年 – 2000年)

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1965年度 320 110 42 3 156 0 60
通算26年間 277 1988 657 64 2901 11 1252

タイトル・表彰

三冠王:1回 (1965年)※戦後初。
首位打者:1回 (1965年)
本塁打王:9回 (1957年、1961年 – 1968年)※9回獲得、8年連続獲得はいずれもパ・リーグ記録。
打点王:7回 (1962年 – 1967年、1972年)※7回獲得、6年連続獲得はいずれもパ・リーグ記録。
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1965年) ※1994年より表彰

MVP:5回 (1961年、1963年、1965年、1966年、1973年)
ベストナイン:19回 (1956年 – 1968年、1970年 – 1973年、1975年、1976年)※通算19回受賞は、史上最多。
ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1973年)
日本シリーズ敢闘賞:1回 (1973年)
オールスターゲームMVP:2回 (1972年 第1戦、1977年 第2戦)
野球殿堂競技者表彰(1989年)
パ・リーグ特別表彰:4回 (1963年(シーズン最多本塁打新記録)、1975年(2,500安打及び2,500試合出場)、1979年(通算650本塁打)、1980年(通算3,000試合出場及び功労賞)

wiki/野村克也

<ノムさん名言>

・自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる。

・失敗の根拠さえ、はっきりしていればいい。それは次につながるから。

・「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない。

・楽を求めたら、苦しみしか待っていない。

・「恥ずかしい」と感じることから進歩は始まる。

 

6番 DH 門田博光(南海)

左投げ左打ち

出身地:山口

出身校:天理高等学校 → クラレ岡山

背番号: 27 (1970年-1979年) 44 (1980年-1982年) 60 (1983年-1988年) 南海 78 (1983年-1984年) オリックス,ブレーブス 53 (1991年-1992年) ダイエー

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1988年度 311 125 44 2 139 0 98
通算23年間 289 1678 567 51 2566 6 1273

タイトル・表彰

本塁打王:3回 (1981年、1983年、1988年)
打点王:2回 (1971年、1988年)
最高出塁率:3回 (1981年、1987年、1988年)

MVP:1回 (1988年)
正力松太郎賞:1回 (1988年)
ベストナイン:7回 (1971年、1976年、1977年、1981年、1983年、1988年、1989年)
カムバック賞 (1980年)
月間MVP:3回 (1981年7月、1988年5月、1989年5月)
オールスターゲームMVP:2回 (1976年 第2戦、1983年 第1戦)

野球殿堂競技者表彰(2006年)

wiki/門田博光

◆門田の背番号 入団時は「27」。右アキレス腱断裂から完全復活を目指す80年に「44」へ変更。母の享年と同じ本塁打数を打って供養するためと、大リーグではレジー・ジャクソンら強打者が背負っていたことが理由。81年に44本塁打を記録すると「王さんの55本を超える60本を打ちたい」と、83年から「60」に。89年からのオリックスでの2年間は「99を希望したけど球団から断られた」と、易者に選んでもらった「78」に。ダイエーでは「53」だった。

 

7番 サード 小久保裕紀(ダイエー・ソフトバンク)

 

出身地:和歌山

出身校:和歌山県立星林高等学校 → 青山学院大学

背番号: 9 (1994年 – 2003年、2007年 – 2012年)福岡ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークス  6 (2004年 – 2006年)読売ジャイアンツ

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1988年度 290 123 44 6 155 0 62
通算18年間 273 1304 413 58 2041 20 723

タイトル・表彰

本塁打王:1回(1995年)
打点王:1回(1997年)

ベストナイン:3回(1995年、1997年 – 二塁手、2011年 – 一塁手)
ゴールデングラブ賞:3回(1995年 – 二塁手、2010年 – 2011年 – 一塁手)
スーパースラッガー賞:1回(1995年)
カムバック賞:1回(2004年)
日本シリーズMVP:1回(2011年)
パシフィックリーグ功労賞 : 1回(2012年

wiki/小久保裕紀

・座右の銘は「一瞬に生きる」

・ホークス復帰会見での王会長の言葉

「ジャイアンツに行く話になった時が一番ショックでしたから、一日でも早く(ホークスへ)帰ってきたらいいなという気持ちを、毎日のように思っていました」

 

8番 レフト 佐々木誠(南海・ダイエー)

左投げ左打ち

出身地:岡山

出身校:岡山県立水島工業高等学校

背番号: 57 (1985年 – 1986年)0 (1987年 – 1988年)3 (1989年 – 1993年)南海・ダイエー 1 (1994年 – 1998年)西武 8 (1999年 – 2000年)阪神

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1992年度 322 54 21 40 164 2 30
通算16年間 277 638 170 242 1599 66 414

タイトル・表彰

首位打者:1回 (1992年)
盗塁王:2回 (1992年、1994年)

ベストナイン:6回 (外野手部門:1991年 – 1995年、1997年)
ゴールデングラブ賞:4回 (外野手部門:1991年 – 1994年)

  • オールスターゲーム出場:6回 (1988年、1991年 – 1995年)

wiki/佐々木誠

・打撃と走塁、守備の全てを完璧に備えた選手として、全盛期には「MLBに最も近い選手」とも呼ばれた

・1990年の日米野球終了後には監督のドン・ジマーから秋山幸二とともにMLBに連れて帰りたい選手として名前を挙げられ[1]、ドン・ベイラーがダイエーで臨時コーチを務めた際にも「いつでもMLBで通用する」と評価された

 

9番 ショート 木塚忠助(南海)

右投げ右打ち

出身地:佐賀

出身校:唐津中学(現・佐賀県立唐津東高校)→ 門司鉄道局

背番号: 3 (1948年 – 1949年)南海 14 (1950年 – 1959年)近鉄パールス

成績 打率 打点 本塁打 盗塁 安打数 犠打 四球
1950年度 301 47 8 78 145 10 23
通算12年間 262 360 42 479 1216 148 213

タイトル・表彰

盗塁王:4回 (1949年 – 1952年)
最多安打(当時連盟表彰なし):1回 (1951年) ※1994年より表彰

ベストナイン:7回 (1948年 – 1953年、1955年)
日本シリーズ技能賞:1回 (1955年)

オールスターゲーム選出:6回 (1951年 – 1956年)
1試合6失策(1949年9月29日)※日本記録

wiki/木塚忠助

・巨人軍の「引き抜き」の誘いを「俺は金では動かない」と断った選手として有名で、九州男児の心粋を通した気っ風のいい選手であった。また、メジャーリーグから誘いを受けた日本人選手第一号でもある。

・野村克也 → 「グラブの扱い方から木塚さんは違った」

 

投手陣(13人)

<先発>

・杉浦忠(南海)

・皆川睦雄(南海)

・斉藤和巳(ダイエー・ソフトバンク)

・杉内俊哉(ダイエー・ソフトバンク)

・和田毅(ダイエー・ソフトバンク)

・バンデンハーク(ソフトバンク)

<中継ぎ>

・摂津正(ソフトバンク)

・吉田 修司(ダイエー)

・ファルケンボーグ(ソフトバンク)

・森福允彦(ソフトバンク)

・馬原孝浩(ダイエー・ソフトバンク)

・ペドラザ(ダイエー)

<抑え>

・サファテ(ソフトバンク)

 

一軍控え野手(6人)

<捕手>

・城島健司(ダイエー)

<内野手>

・ズレータ(ダイエー)

・岡本伊三美(南海)

・川﨑宗則(ダイエー・ソフトバンク)

<外野>

・内川聖一(ソフトバンク)

・柴原洋(ダイエー)

 

まとめ

 

今回はホークス(南海、ダイエー、ソフトバンク)でオーダーを組みましたが、実際歴代の選手を見て(実績など)中々1軍登録に絞り込むのは難しいですね(笑)

実際、中継ぎではない「馬原」、「ペドラザ」を中継ぎに回したり、「吉永」、「松田」、「今宮」、「デスパイネ」、「村松」、「中村晃」…数を上げたらきりがないですが登録できなかったですし…

ただ、機動力重視、守備固めなど戦術が変われば選手登録も変わると思いますが今回私が考えたオーダーが自分の中ではベストだと思います(笑)

言えることは、野球が好きで色々妄想するのは楽しいですね!

またホークス投手陣or他球団でもやりたいと思いますので宜しくお願いします。

 

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